パレスチナコンサート
ミッションの最終日の夜はパレスチナの子供達と若い音楽家とジョイントコンサートでした。
ラマラール地域にあるエドワード・サイードホールで行われる
児童権利条約成立23年記念コンサートでした。
パレスチナの伝統的な音楽から始まって、私と子供達がパレスチナの童謡を合唱しました。
丸暗記で覚えた歌詞の発音は現地の運転さんに直して貰いました。
本番のギリギリまでひとりで練習、
とっても緊張しました。
でも、お陰様で、本番は最高に上手く行きました!!!!
割れんばかりの拍手にホッとしました。
続けては現地のジャズバンドとコラボレーションで2曲を歌います。
挨拶の一言一言に大歓声が起こりました。
気持ちがパレスチナの方の心に届いた実感でした。
「幸せの花」の手話も会場いっぱいのお客さんがやってくれました。
歌い終わると、鳴り止まぬ拍手!!!!
「ピースフール ワールド」の内容を説明して、平和の輪を教えて、
歌い出しましたら
涙する方もいました。
歌い終わった時は歓声と応援の声と拍手がいつまでもいつまでも続きました。
平和への願いが歌になって、
叫びとなって、
パレスチナの方の心に響いたようでした。
コンサートが終わって
たくさんの方が「ありがとう」
「最高」「心に届いた」とありがたい言葉をかけてくれました。
みんなで興奮気味\(^o^)/
みんなで笑顔o(^▽^)o
最高でした。
その歓声は一緒忘れる事がないと思います。
本当にありがとうございましたヾ(@⌒ー⌒@)ノ!
短いパレスチナミッションでしたが、
内容の濃いミッションでした。
パレスチナの子供達の明るさと美しさに励まされた。
きっと平和は来ると信じてます。
その日が来るまで
パレスチナの子供達の事を忘れないようにしましょう。
日本の援助がパレスチナの子供達を支えてる事に誇りを持ちましょう。
パレスチナ報告 その3
ミッションの3日目にへブロン地域を訪ねました。
へブロン地域はイスラム信者にとっても、
ユダヤ教信者にとっても、
神聖な場所です。
旧市街の中にイブラヒムのお墓があります。
もともとイスラム人が多く住む町でしたが、
ユダヤ教の信者は聖地に住む権利を主張。
武装した入居者が建物や土地を奪い、住み始めました。
軍は住みついたユダヤ人を守るため、
旧市街を封鎖。中に住む人しか出入りは出来ません。
旧市街は大きいなマーケットでしたが、
2800軒の店はお客さんが居ない事で閉店。
今はゴーストタウンになってます。
検問所は全ての道にある為、
学校へ行く時は何回も検問を受けます。
石を投げられる、唾を吐きかけられる、
銃を向けられる事もしばしば。
商店会の上にはネットが張られてありました。
ユダヤ人が上から投げる石やゴミを止める為です。
子供達は大変な思いをしながら学校へ通っていました。
ユニセフが支援している団体は通学路に外国人が子供達を守り、
検問所をスムーズに通れるように見守っています。
毎日の状況をネット上で公開して、
嫌がらせを防ぎます。
へブロン地域は町並が美しくって、
封鎖されてしまうのは本当に残念です。
イブラヒムのモスクは現在半分がモスク、半分がユダヤ教の教会になっています。
同じ預言者を信じる同士なのに。。。残念です。
3日目の午後はベデゥウィン族が住む地域へ。
べデゥウィン族は遊牧民。しかし彼らが遊牧している地域はイスラエルが狙っている土地でもあります。
その為、イスラエルはべデゥウィン族の移動権を取り上げました。
遊牧が出来なくなったべデゥウィン族は生計を建てられなくなり、
厳しい生活を強いられています。
彼らが行く道々を塞ぐ、追い込んでいます。
とうとう学校へ行く道は高速道路を渡るようになってしまいまして、
子供達が車に惹かれて相次いて亡くなりました。
親達は自分で手作り学校を建てました。
建材がない為、古いタイヤーを使ってました。
でもイスラエル政府はそれは違法建築物とし、
壊しに来ます。
国際援助団体が必死で学校を守っています。
ユニセフも協力しています。
子供達の健康を守るために毎月医療車を派遣しています。
でも山の上は重装備の入居者達。。。
「僕達が追い出されるのは時間の問題だ。。。」とべデゥウィン族は先祖代々から受けつがれた生活が脅かされています。
<続く>