被災地、山元町を訪ねて。
今日は山元町を訪ねました。
町のおよそ半分が津波の被害に遭い、沢山の尊い命が奪われました。
役場へ挨拶しに行きましたら、震災以後に立ち上がった「りんごラジオ」に飛び入り出演する事になりました。私が歌った「雨ニモマケズ」を流してくれました、役場にいた方は仕事を中断して、聞きながら涙、涙。
小学校や中学校の中に、何百人が避難していました。
一ヶ月以上の避難生活。「もう限界です」と言う方もいました。「ユニセフは子供達を支援していきます。要望があったら、避難所の本部を通して、連絡してください」と話しました。子育て中のお母さんの力になりたい。
悪条件のなでも子供達は無邪気に遊ぶ。「サインして」「一緒に写真撮って」と寄って来てくれます。もうすぐ学校が始まります。元気で安心して学校に通えるように、ユニセフは色んな面から支援しています。
「元気が出たよ」「来てくれて、ありがとう」と被災者の皆さんは抱き着いてくれたり、真剣に話しりしてくれました。みんなで泣いたり、笑ったり…。「津波は大きかったが、心はそれよりも大きい。めげずに行きましょう」と言うと拍手が起こりました。
皆さんの強さと優しさに感激しました。
4日間の宮城県の訪問、沢山の方と触れ合って、長期にわたる子供達を支援していくための貴重な意見を聞けました。これからも子供達に寄り添って活動を続けます。医療と保健、教育、保護の三本柱で活動を組み立てます。
今日は東京に戻ります。28日からは岩手県の被災地に行きます。
アグネス
南三陸と気仙沼から
今日は南三陸と気仙沼を訪ねました。
南三陸を襲った津波は里山を削り、海からかなり離れたところまで到達した跡が残っていました。石巻でも津波の破壊力にびっくりしましたが、今日はそれを上回る光景に唖然としました。
「毎月、津波訓練をやって来た。でもここまで大きな津波は想定出来なかった」と町長さんは悔し涙。
気仙沼では津波だけでなく、火事の災害もありました。荒れ果てた大地を目の前にして、絶望感に陥りそうになりました。
避難所や学校では沢山の方と触れ合った。言葉はいらない。見つめあうだけでお互いに涙ぐんでしまう…。
「元気でいてくれて、ありがとう〜」と言うと、さらに涙。
今日は子供達とも良く遊べました。キラキラと輝く瞳に未来の光を感じました。
沢山報告したい事がありますが、でも今日は原稿の締め切りもあるので、詳しい事は後日に書きますね。
被災者の子供達と家族が一日でも早く、安心して、生活が出来ます様に、日本ユニセフ協会大使として、これからもがんばります。
明日は山元町を訪ねます。
アグネス
牡鹿半島と女川の被災地から
今日は牡鹿半島の被災地に入りました。
美しい景色で有名な半島に、とてつもない高い津波が襲いました。
桃浦と月浦の海岸沿いの町はすべて破壊され、助かった被災者の方は寄り添って、残ったいくつかの民家に避難していました。
被災者の皆さんがその日の恐ろしい体験を話してくれました。雪が降る寒いなか、着の身着のままで逃げて、家を失った方、家族を失った方…。悲しみの深さはそこしれず、それでもみんなさん前向きに頑張ろうとしていた。
話せば笑顔が咲く。抱き合えば元気が出ました。
いくつかの小学校を訪ねました。学校で避難生活をしている子供達とあったよ。本当に可愛かったです。大家族のなかで育つ子供達は明るく、元気でした。子供達と遊んでいるだけで、気持ちが暖かくなりましたね。
校長先生は電気も水も戻っていない、トイレもない状況で、21日に迫った新学期を迎えられるか、とっても心配していました。
ユニセフ協会は子供達の衛生面の支援は勿論、栄養面でもこれまで以上に支援して行きます。すでに始まった学校には、ユニセフバックに文具などを入れて、学校に戻った子供達に順次渡して行く予定です。
牡鹿半島を南下すればするほど、津波の被害の深刻さが増しました。言葉を失うほどの、津波の高さにただただ茫然。
その後いくつもの避難所を回って、皆さんを励ましました。皆さん笑ってくれたり、熱く握手してくれたり…。下着やCDのプレゼントもとっても喜んでくれました。
女川原発のなかにある避難所も訪ねました。沢山の子供達がいましたよ。ユニセフからのバックや絵本、私からのキャンディで笑顔、笑顔。
最後には石巻の小学校の避難所を訪問しました。体育舘のなかに大勢な方が避難していました。
挨拶をして、歌も歌いました。子供達がいっぱいいたので、ゆっくり触れ合いましたね。
サインや握手、記念撮影とつかの間の楽しい時間を共にしました。「お元気でね」と言ったら、「アグネスと会って元気が出た。私達も頑張るからね」
外に出ると、香川県からうどんの炊き出しをしに来た方から「おいしいよ、食べて」と暖かいうどんをご馳走になりました。昼ご飯を食べてなかった事に気付き、おうどん、ありがたかったです。
明日は気仙沼と南三陸に行きます。より沢山の方の話と要望を聞いて、これからのユニセフ活動をより充実させるための参考させていただきます。
今日も沢山の素晴らしい出会いに感謝です。
一日でも早く、みんなが安心して、生活が出来ますように、微力でありながら、がんばります。
アグネス
被災地、石巻から
早朝、車で宮城県、石巻市へ出発しました。
1時過ぎに着き、津波の被害が一番深刻な場所に案内されました。
見渡すかぎり、瓦礫の山。海からかなり離れたところまで、津波の爪痕が生々しく残されていた。
跡形もなく、すべてが流された町、被害の規模の大きさに、破壊力の凄さに、恐ろしく、悲しく、涙、涙。今まで見たことのない、考えられないほどの被害でした。
まずは「釜小学校」にある避難所へ参りました。
ユニセフ協会が「子供に優しい空間」として、避難所で毎日子供達が遊びに来られる場所を作っていました。
校庭でユニセフのボランティアの方と楽しそうに遊ぶ子供達に話しかけて、触れ合いました。
津波があったすぐ後は、千人を越える被災者の方が避難していましたが、今は200人程度になりました。教室が避難所となっていて、床に毛布をひいて、寒さに耐え、一ヶ月を頑張っていたのですね。
「ワァーアグネス?」とみんなが私の周りに集まってくれました。握手をして、「大変だったね」「生きていてくれて、ありがとう」と話しかけ、抱き合ったり、泣いたり、笑ったり、ゆっくり語り合うことがてきました。
お母さんと妹をなくした少年が弟の面倒を見ながら、新聞の死亡者名簿を一生懸命に読んでいた。話しをかけたら、「連絡が取れない友達の名前を探してるんだ」と…。「今欲しい物は?」と聞いたら、「欲しい物はない…」と言う。少年が言えない言葉を周りの誰かが言いました「お母さんだろう?」って。
失って、戻って来ない物…。どうやってこの子供達の心の傷を癒して行くのが大きな課題です。
弟はこの春、釜小学校の一年生になる予定。校長先生は21日を目指して、開校したいが、「出来るかどうか?」と不安そうな顔をしました。580人の生徒達は戻って来ますが、80人の生徒は戻って来ないと言います。
市内の高台に登ると、海から山のふもとまで津波が来ていた事が良くわかりました。
心から亡くなられた方のご冥福を祈りました。気付いたら、涙が…
その後も市内を回り、他の避難所も訪問しました。
詳しい報告は後日にします。今11時、これから現地にいるユニセフ協会のスタッフと会議です。
アグネス